イギリスの海賊 / フランシス・ドレイク

Francis Drake, 1543年 - 1596年
イギリスの海賊。私掠船の船長にして、海軍提督

南イングランドの出身
親戚であるジョン・ホーキンスの元で奴隷貿易に従事していたが
1568年に自ら船を調達して船長となり、スペイン船を襲う海賊活動を開始
1577年にガレオン船を旗艦とする5隻の艦隊で出航、
史上二番目の世界一周を達成する

ホーン岬やドレイク海峡の発見者

大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋に進出し、
そのまま横断して香料諸島、インド洋、喜望峰と回ってイギリスに帰国
スペインの植民地や船を襲って莫大な財宝を奪いながら旅を続け、
帰国時にその金銀財宝をエリザベス一世に献上した

その財宝たるや、当時のイギリスの国庫歳入を上回るほどで
その功績をもってドレイクは"Sir"の称号を賜り、海軍中将に任命される
一時期は市長や国会議員に選出されるが、再び海へ戻る
1588年のアルマダ海戦では実質的な指揮を執り、
スペインの無敵艦隊を撃破する

その後も西インド諸島を襲撃するが、
スペインの堅い守備を打ち破ることはできず
1596年に赤痢に倒れ、錯乱状態のまま死去した

タバコは、西インド諸島からドレイクが初めて持ち込んだとされている

私掠船

私掠船とは、戦争状態にある国から
敵国の船を襲撃し、積荷を奪う許可を得た個人の船のこと

私掠船は国の援助を受けて敵国の船および積荷を奪い、
それによって得た収入を、国・出資者・船長および乗組員と分配する
国家や出資者にとっては概ね儲かる事業だったらしい
要するに、国家公認の海賊のこと

大航海時代後の西ヨーロッパで、諸国が海軍力を補うために採用した慣習
16世紀に英国が始め、18世紀の英仏戦争では多数の私掠船が活躍した
ほかに有名なものとしては、米国の南北戦争が挙げられるが、
南部連合の私掠船は、北部海軍にあっさり鎮圧された

1856年のバリ宣言で、ヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄し、
1907年のハーグ平和会議で武装した商船は軍艦扱いとなり、
国際法として規定されたことで、私掠船の慣習は消滅する

私掠船の船長としては、ドレイクのほかに
キャプテン・キッドとして有名な、ウィリアム・キッドがいる

蛇足

ふと見かけたので取り上げてみました
某沈没船の船長は、これが由来なのかしらん?

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