北欧神話 / 北欧神話とエッダ

  1. 北欧神話
  2. エッダ
  3. 古エッダ
  4. 散文のエッダ
  5. ヴァイキング

北欧神話

スカンディナヴィア半島およびアイスランドに伝わる神話のこと
ゲルマン人の神話

紀元前1,000年からキリスト生誕までには形になっていたと思われる
といっても青銅器時代の岩刻画には宗教的シンボルを描いたものもあり、
もっとずっと昔からスカンディナビアに流布していた可能性も高い

ゲルマン人というのは、 ローマ人による他称
現在でいうドイツ一帯に住んでいた諸部族の事を指し、
古代ローマの歴史家タキトゥスが『ゲルマニア』(98年)に著されている
4世紀から6世紀にかけてフン族に追われたゲルマン人の大移動は、
民族大移動として知られる人類史における一大事件である

これによってゲルマン文化は多くの地域に伝播したが、
北欧以外のゲルマン人は早くからキリスト教化してしまったため、
民族独自の神話や思想を示す書物は殆んど残っていない

そのため、古代ゲルマン人の習俗や精神を理解する上では
12世紀以後にアイスランドで纏められた書物が主な情報源となっており、
北欧神話は歴史資料としても重要になっている

エッダ / Edda

古ノルド語(古代北欧語)で書かれた歌謡集のこと
ゲルマン神話と英雄伝説について、様々な編者の作品が収められている

古代ゲルマンの神話を体系的に網羅した唯一と言ってよい資料であり、
当時の思想・風俗・人生観を知ることができる貴重な文献でもある
英雄伝説では民族大移動期に輩出された多くの英雄が登場し、
当時のゲルマン文化に広く知られた英雄伝説が
ほぼそのままの形で記録されている

ゲルマン古代研究においては、
日本の『古事記』にも相当する第一級の資料である

『エッダ』が書かれたのは13世紀のアイスランド
アイスランドがキリスト教に改宗したのは紀元1000年のこと
年代を考えれば、キリスト教や中世騎士道の影響は避けられないが
古い伝承をそのままの形で残そうと努力されたのは事実であり、
中には9世紀の逸話と細部において一致するものもある

『エッダ』には10世紀頃に作られたと思われる歌謡を集めた『古エッダ』と、
13世紀にスノリ・ストルルソンによって書かれた詩学入門書『エッダ』
いわゆる『スノリのエッダ(散文のエッダ)』がある

この2つは混同されることも多いので、少し詳しく見てみよう

古エッダ

17世紀に発見された歌謡集に、幾つか同形式の古歌謡を加えたもの
『古エッダ』『詩のエッダ』『セームンドのエッダ』などと呼ばれる

『エッダ』の写本が発見されたのが、1643年
発見者はアイスランドはスカウルホルトの司教ブリュニヨールヴ
後に王立図書館に納められ "Codex Regius(王の写本)" と呼ばれている
個々の歌謡がいつできたのか正確なことはわかっていないが、
この写本自体は1270年より前に書かれたとされている

これは羊皮紙45枚からなっていて、32枚目からの8枚は失われている
失われた部分は『シグルドリーヴァの歌』末尾から
『シグルズの歌 断片』の終わりにかけて

いま我々が入手できる『エッダ』は、
王の写本にある29の歌謡(うち2つは断片的)に、
17世紀以後の写本から、内容と形式が近いものを付け加えたもの
これらは後述する『スノリのエッダ(散文のエッダ)』と区別して
『古エッダ』あるいは『詩のエッダ』とも呼ばれる

発見者の司教は、スノリが『エッダ』に引用している古詩の原本だと考えた
故に『王の写本』にエッダという名を付けたのだが、これは誤解である
スノリが『エッダ』を書く際に多くの古歌謡を引用したのは事実だが、
スノリの時代に『エッダ』という集大成があったわけではない

また、この司教はもう一つ誤解をしていて
この写本の作者を12世紀の学者セームンド(1056-1133)だとしていた
このためスノリの『エッダ』と区別して『セームンドのエッダ』と呼ばれたが、
後にセームンドは古歌謡エッダと何の関わりもないことが判っている

『エッダ』という名前は、発見者の誤解によって名付けられたまま
今日に至るまで使い続けられているということ

散文のエッダ

当代随一の詩人にして歴史家であったスノリ・ストルルソン(1178-1241)
彼が若手詩人のために作り上げた詩学入門書『エッダ』のこと

ゲルマン詩の特色の一つに、"ケニング"という技巧がある
これは一つの単語を2つの言葉で表すことで、要するに比喩の技法のこと
たとえば「枝の破滅」→「火焔」、「シヴの髪」→「黄金」といった感じ

ケニングは作るにも理解するにも教養が必要なため、
そのための材料として古歌謡や口承伝承を纏めたのが『エッダ』である
スノリ自身が一流の文学的才能を誇る詩人でもあったため、
同時代の詩人の作も多く収められている

スノリの『エッダ』は3部から成っていて、
第一部「ギュルヴィたぶらかし」で神話の概観を
第二部「詩人の言葉」で神々の対話から詩語やケニングの説明を
第三部「韻律一覧」 では詩形の模範を示そうとしている

芸術作品として特に優れているのが第一部「ギュルヴィたぶらかし」であり
北欧神話の解説で『スノリのエッダ』と言えば、まずこの部分を指す
古い神々について知りたいと思ったギュルヴィ王と神々の対話で、
『古エッダ』では関連性の掴めなかった幾つものエピソードを
芸術的に纏まりのある物語として見事に仕上げている

そのためスノリの『エッダ』は、『古エッダ』を理解する大きな助けとなる
さらにスノリは『古エッダ』にもない失われた古歌謡からも引用しており、
北欧神話を語る上での重要な資料となっている

『エッダ』の語源については不明であるが、
写本の一つに『エッダ』「スノリが纏めた」と明確に記載されていることから
『古エッダ』と違って書名と著者はハッキリ判っている

ヴァイキング / Viking

8世紀〜10世紀にスカンディナビア半島に住んでいた人々
言語・思想・文化など、中世西欧の歴史に大きな影響を残している

海賊・交易・殖民を生業とし、
西ヨーロッパ沿海部に侵略したスカンディナビアの武装船団
...というのはキリスト教徒からの一方的な見方である

とりわけ手工業に優れ、
特に職人としての技量は当時としては世界最高だったとか
その優れた造船技術と航海の術が、海軍力に繋がっていたのは事実だが
彼らの大部分は、時間の殆んどを漁や農耕に従事する平和な民である

貴族(戦士)、農民、農奴という3つの階層をもち、
ハッキリと明快な社会的基礎の上に成り立っていた
このうち北欧人の大多数を占めたのが農民である
彼らは小土地保有者で、自由人だった

ヴァイキングの主な動き

ヴァイキングの代名詞は、デンマークのヴァイキングであるデ―ン人
北フランスを蹂躙し、後にノルマンディー公国を形成してノルマン人となり
イングランドを蹂躙して、アングロサクソン諸王国と闘争を続けたりした

ノルウェーのヴァイキングはノール人と呼ばれ、
アイルランドに殖民し、アイスランドに定住して、グリーンランドを発見
はてやコロンブスの5世紀も前にアメリカ大陸に殖民している
もっとも殖民は失敗しており、歴史的価値(影響力)はない

スウェーデンのヴァイキングがスウェード人
彼らはバルト海を横断してロシアに入り、キエフ公国を建国
河川を遡ってバルト海と黒海を結ぶ陸上ルートを支配して、
コンスタンティノープルにまで姿を見せている

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