_Highlight of the trip
βの思い出を語ろう! 〜β1〜
Sig.が保管しているROのスクリーンショット
中でも最古のものは2002年7月10日のものになります
当時はつまらない画像はこまめに捨ててましたから、
βのSSはたった9枚。驚くほど少ないです
そのことは少し後悔してもいます
実際にROを始めたのは、たしか5月くらいです
初めはChaosに降り立ち、剣士がBase20くらいになったところで
育成の失敗に気付き、関連サイトを調べつつIrisにて新生したのが
現在のメインキャラ「-Sig.-」になります
某所によると、5/2〜5/27にかけて
蝿・蝶・イグ葉が使用不能になっていたらしく、
この措置には覚えがあるので、おそらくこの前後が開始時期なのでしょう
βのころ、初心者修練場で
そういえば、βの頃は初心者修練場がとっても賑わってました
今では素通りするだけの実技試験場(ファブルがいるとこ)には、
画面内に常に4〜5人は居たように記憶してます
一人一人が思い思いの場所に腰掛けてぼ〜っと時を過ごし、
気の合う人を見つけてはグループを結成し、雑談に興じていたのです
大抵の人はPTが組めるようになるまで修練場で鍛え、
その過程で友達を見つけて巣立っていきます
ああ、だんだん思い出してきました
修練場では常連さんというか、長い人を中心に2〜3の集団があって
10人くらいで円陣を組んで、何時間も何時間もひたすら雑談してました
そういった古株の人は別キャラでROに精通していて、
ビギナーの知恵袋として色んな話をしたもんです
β末期に2ndキャラ(現在のIolite)が修練場に降り立ったとき、
4人くらいで2〜3日はひたすら話してました。中には台湾の人もいましたし一人とは未だに良い友人です
当時はオープン会話が主体でしたからね
独り言に反応する形で会話に発展することが多く、
コミュニケーションには事欠きませんでした
ぶっちゃけPT機能がバグだらけだったせいなんですが
修練場のファブルがアクティブになって、途端に殺伐としてきましたが
生涯を修練場で過ごす人も居るくらい、居心地の良い空間だったんですよ
一番記憶に残ってるのは、下水時代
プロンテラ下水道は、最も古いダンジョンであり
フィールドを卒業した二次職がデビューする人気ダンジョンでした
職を問わず、まず転職前後から暫くは下水に篭ることになります
しかしアクティブで素早く、団体で襲ってくるファミリア(蝙蝠)が脅威であり
B2に入った途端に死んでしまう初心者が、特にアコ・マジ・商人で多かった
人が多いから湧きも凄かったし、もともと数自体が多かったんですね
そこでSig.は下水B2の入り口に陣取り、
ハルバを構えて篝の前のMobを片付ける"番人"をしていました
決り文句は「下水2階へようこそっ!」
当時は用意された場所に対して人が圧倒的に多かったですから
敵が湧くのをひたすら待ちながら、アクティブが近付いてくるのを待つという
セル単位での厳密な場所取りによる固定狩りが主流でした
なので、どうせ待つなら下水の安全を確保しようと
これ、けっこう喜ばれたんですよ?
今みたいに移動後の無敵時間とかなかったですし、ラグも酷かった
画面が切り替わったら死んでるなんてことは良くあることで、
下水B2への突入はホントに命懸けだったんです
やり続けてると不思議なもんで、
Sig.に倣って同じことをする"弟子"ができたりもします
無事に潜り抜けた人が座って回復しながら、感謝の言葉をくれたりもして
そんなとこから自然と会話が弾むのも楽しかったですね
Sig.の前にも似たようなことをする人は居たんでしょうけど、
人が来る度に「ようこそ!」と歓待してたのはSig.だけでしょう
少なくともβ末期のIrisではw
βのGD
下水が楽になったら、次の狩場はGDです
ここまで述べたβの特色を上げてみましょうか
- PT機能が半実装(PT会話に不具合あり)
- 人がすし詰めであり、湧き待ちの固定狩りが主流
要するに、むっちゃ暇だったわけです
Mobが湧くまでの間、手持ち無沙汰なので独り言を漏らし
反応してくれた人と雑談に興じることで暇潰ししてたわけですね
β時代は今と比べると凄くフレンドリーなのですが、あまりに未完過ぎて
そうでもなければやってけなかった、てのが背景になります
湧きは良かったけど、それ以上に人が居たわけで
いくつかある良ポイントを逃せば効率なんて雀の涙
ポイント確保を虎視眈々と狙い、順番待ちなんてのもあったくらいです
そういったβの狩りの特徴が、最も色濃く現れたのがGD1でしょう
これは、当時のGDの風景。赤毛のシーフはBOTです
立ち位置の場所争いとMobの所有権は、暗黙の了解で成り立っており
それを無視して公然と横殴りを行うBOTに対して、
並々ならぬ敵意がぶつけられました
上のSSでは一見仲良く共闘しているように見えますが、
その実、BOTに経験値をやらないために周囲で敵をボコっている
...というのが実際のところだったりします
BOTが敵意と憎悪をもって迎えられたのは、
長時間かけて待ち望んだ貴重なMobを奪うからです
BOTが鬱陶しいのは今も昔も変わりませんが
少なくとも現在の高性能BOTは、当時に比べれば実害は無いに等しい
そしてもう一つ。Gunghoが日鯖の管理会社になったのは、β2から
それまではGravity直轄の管理で成り立ってました
言っておくと、β当時のラグは現在の古鯖のGvも比較にならないくらいで
現在よりずっとあからさまなBOTですら、報告から2週間↑放置だったり
翻訳の関係ということで、報告の返信もまず帰ってこないし、
当時のサポート状況はとにかく「劣悪」に尽きます
たまにGunghoが不甲斐ないからとGravityに頼ろうとする人が居ますが、
GravityがGunghoよりマシだっていうのは間違いです
少なくとも管理という点においては
...話が逸れました
ま〜BOTも良く見かけましたが、
それを差し引いてもGDは良狩場だったわけです
Lv.70になってもまだ篭ってる人が居るくらいには
他に行くところが無かったとも良いますが
β最難関にして最終狩場の一つであったのがGD2です
当時の構成は、ナイトメア・ソルスケ・グール
当然ながらSig.はまるで歯が立ちません
廃アコさんに支援を頂いて、
SP切れるまでバッシュすればギリギリ倒せたくらいでしょうか
ちなみに当時は念属性なんてモンはとうぜん無いので
馬は回避が高くてAtkが高いだけの存在です
そんなわけでβ最強職は「回避向上」があるシーフ
当時の「回避向上」は囲まれ時の最低保証があったので
反則なくらいに避けて避けて避けまくったもんです
木琴なんてありませんからね? 念のため
ちなみにミニマップも未実装です
外人 = 害人 = 外国人
最近は国際鯖への移住も良く見かけるので、ちょこっと触れてみる
βまでは外国人対象のIPブロックとかなかったので、
台湾とかフィリピンとかの人がいっぱい居ました
しかし当時、外国人PCは「害人」と呼ばれて忌み嫌われた
理由は、やたらと「heal me plz」とか「give me money!」と繰り返し、
しかもしつこい上に横殴りも平気でやってきたから
既MMOと米国流プレイスタイルを考えれば良くある行動なのだが
ROはMMO初心者が多く、独自の価値観が醸成されていたため、
問題が絶えることはなかった。BOTによく似た行動をする者も多く、
何処までもストークしてくるのも居たし、鬱陶しいのが多かったのも事実
You're so pathetic.
君ってホント可哀想なやつ。Oh,you're whiner...sorry I thought your loser.
あ、悪い、君は不平屋だったのか…単なる負け犬だと思っていたよ。
(こっちがさも優位にたっているようなスピーチ)I don't wanna ruin my day with such shit.
こんなつまんないことで時間浪費したくないんだけど。Stop whining pathetic man.
愚痴んのやめなよ、かわいそうなやつだな。So?
それで?Sorry coffee break,and?
ごめ、お茶飲んでた。で?
これ、当時Sig.が使ってた英語の定型文(罵倒編)
...何も言ってくれるな、俺にだって若い時分はあったさ ==)
まあ、こんなのを常時辞書登録しないといけないくらいには
鬱陶しいのも多かったと、つまりそういうこと
もちろん外国の人にも良い人はいっぱい居たし、
Sig.も何人かとは親しく話したり、一緒に狩りをしたりもしたけど
結局は問題回避のためにβ2ではIPブロックによって外国人が一掃された
これによってROはMMOからまた一つ遠のいたが
問題解決の助けにはならなかった
とは言え外国人叩きは無くなったし、
意味不明の問答に巻き込まれることも無くなったので
日鯖は日鯖の問題として処理できることで、とりあえず平穏にはなった
その他
β最強職はシーフですが、剣士にも優れた利点がありました
それは、「金ゴキに有効打が与えられること」
βで金ゴキと言えば、お祭り騒ぎの代名詞
なにせどんなに強いPCでも与えられるダメージは一律「1」
剣修練を保持する剣士だけが「51」のダメを与えられます
Strにかなり振ってる人で、ようやく+10ちょいくらい
(訂正:β時代、剣修練は30だった)
そんなだから、まともに叩いてたんじゃ何時まで経っても終わりません
なので金ゴキは数人から数十人で袋叩きにするのが慣例でした
ROでMMOらしさを体感できる貴重なステージでしたね
MVPは大抵剣士です。当たり前だけど
7/14 21:00 うさみみNPC周辺
これくらいの人口密度、今ではなんてことないけど当時としては凄かった
うさみみNPCは、何度も出たり引っ込んだりを繰り返した幻のNPCで
実装されてはバグ発見で数時間で失踪、というのが良くあった
βでは 「買)柔毛200z」とかってチャットが良くあって貴重な収入減だった
この時もやっぱりバグはあったのだけど、放置された
これは受け渡しが失敗してアイテムが消えるバグで、
そんなことだろうと数セット材料を用意する人もたくさん居た
ついでにいうと、うさみみの材料として猫耳も高価だった
カピトーリナ寺院の入り口(prt_fild03)は「狸山」と呼ばれ、
ここにしか存在しなかったスモーキーを巡って、人とBOTで大混雑
Sig.はちゃっかりGetしていたりする(ぉ
7/31 闇ポタの先で折り重なる死体
これは、β最難関ダンジョンの代名詞、プロ北の超絶MH映像
「シーフ以外に攻略は不可能」と思われた凄まじい場所だった
ちなみに熊はアクティブ ...だったと思う
この後、シーフ数人によってかろうじて攻略された
数発殴っては囲まれる前にキャラチェンジする、という超絶技巧に感動
というかそうでもしないと太刀打ちできないプロ北に戦慄
廃Vit剣士だと楽なんだけど、βではVit自体がマゾい
β1が終了したのは、8/7のAM11:00
なんか盛大にお祭りがあったらしいけど、迷惑でもあったそうな
その2日前にはGunghoが管理会社になるということが告知済み
無名の会社が現れたことに皆が困惑した
ちなみに日本管理会社が求められたのは、
βのサーバーは韓国のだったし、言語の壁でサポートも散々だったから
管理会社には、ラグの解消とスムーズなサポートが求められたわけだ